2011年11月26日
トヨタ博物館クラシックカーフェスタin神宮外苑
秋晴れになった本日(11月26日〔土〕)、午後から神宮外苑の絵画館前で開かれていた「トヨタ博物館クラシックカーフェスタin神宮外苑」に行ってきました(写真はクリックで拡大します)。
午前にはクラシックカーの走行パレードもあったそうですが、こちらの一番の目的は、ガソリン不足の時代に使われていた薪トラック。ガソリンの代わりに薪を焚き、発生する一酸化炭素をエンジンに送り込んで燃焼させるようエンジン系を改造したもので、日中戦争から太平洋戦争を挟んだ戦前・戦中・戦後の時代に、トラックだけでなく、バスや乗用車にも使われておりました。パワーがなかったそうで、薪エンジンのバスは、上り坂になるとお客を乗せたままでは坂道を昇ることができず、お客が降りて押したものだ……なんて話を母からもよく聞かされたものです。なんで、こんなものを見に行ったかというと……それはナイショ(笑)。取材というよりも、研究のため、ということにしておきます。
この会場に展示されていたのは、もちろん薪トラックだけではありません。愛知県長久手にあるトヨタ博物館所蔵の内外のクラシックカーや、今日のパレードにも参加したクラシックカー愛好者が所有する内外の貴重な自動車がドッサリ。
中にはフェラーリやカウンタックといったスーパーカーもあって(写真を取り損ねた)、もちろんスーパーカーといえば、お約束の池沢さとしさんの『サーキットの狼』の複製原画も展示されていたり(展示されていたのはマツダ・コスモの横でしたが)。
トヨタ博物館所蔵のクラシックカーは、いずれも動態保存されていて、ちゃんとエンジンもかかります。
こんな催しを見ると、「なるほどクルマも文化だなあ。文化は歴史から生まれるものだなあ……」と納得するのですが、でも、テーマがテーマのせいか、参加者も見学者も、60代以上の方々ばかり……みたいな印象。
若い世代は、そもそもクルマに興味がなく、「免許なんて要らない」という若者も多い(都市部に住んでいれば、確かにクルマは不要。うちにはクルマがあるけど、走行距離は8年目にして、やっと1万キロを超えました)。
こちとら、もともと公道を走るクルマには、あまり関心がないのですが、唯一、参加していたレーシングカー「ローラT‐70 Mk III」は、人垣で写真撮影ができず。デモ走行のときにシャッターを押したら、テールしか写っておりませんでした(泣)。デジカメのシャッタースピード、遅すぎ!






2011年02月13日
97年、もてぎのオーバルをレインタイヤで走るジミー・バッサー
ツインリンクもてぎでのオーバルトラックを使った「インディジャパン」は、今秋のレースが最後になるとのこと。社会人学生になった関係で、実際に観戦に出かけたのは2004年が最後になってしまったけれど、なんだか残念だなあ。
そんなわけで、ぼくのWebサイトに塩漬けにしてあった写真を引っ張り出してみました。1997年7月31日、ツインリンクもてぎのオープニングセレモニーで、1996年CARTチャンピオンのジミー・バッサー(現在、佐藤琢磨選手が所属するKVレーシング・テクノロジーのチームオーナー)がレイナード・ホンダに乗ってオーバルトラックを走ったときのものです。雨上がりで、インディカーがレインタイヤを履いてオーバルを走る珍しいシーンとなりました(オーバルでは雨が降ると走行が中断されるため、オーバル用のレインタイヤは存在しない)。
そういえば、この写真、日本初(たぶん世界初)のコンパクトデジカメとなったカシオ QV-10で撮影したものでした。電池の保ちが悪いため、予備の単三電池をたくさん持ち歩く必要があって、とても重いカメラになりました。
そんなわけで、ぼくのWebサイトに塩漬けにしてあった写真を引っ張り出してみました。1997年7月31日、ツインリンクもてぎのオープニングセレモニーで、1996年CARTチャンピオンのジミー・バッサー(現在、佐藤琢磨選手が所属するKVレーシング・テクノロジーのチームオーナー)がレイナード・ホンダに乗ってオーバルトラックを走ったときのものです。雨上がりで、インディカーがレインタイヤを履いてオーバルを走る珍しいシーンとなりました(オーバルでは雨が降ると走行が中断されるため、オーバル用のレインタイヤは存在しない)。
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そういえば、この写真、日本初(たぶん世界初)のコンパクトデジカメとなったカシオ QV-10で撮影したものでした。電池の保ちが悪いため、予備の単三電池をたくさん持ち歩く必要があって、とても重いカメラになりました。
2011年02月12日
2輪GP写真集『我が愛するドンキホーテ達〈2〉』坪内隆直

先週の末、かつてサーキットからサーキットへ一緒に取材して歩いていた最大手新聞社のYさんから、突然、電話がかかってきました。モータースポーツ関連、メディア関連の懐かしい人たちと会うことになったので、銀座まで出て来るようにというお誘いでした。
集まったのは、主催者のAさんのほか、4輪モータースポーツライターの大串信さん、2輪GPを追って世界中を旅している坪内隆直さん、バイクメーカーのPRを担当した後、現在は超大手IT企業の広報を手伝うSさん。さらに、都内の地域FMラジオや硬派のテレビ番組制作会社といった方々が、なぜか銀座のセクシー居酒屋に集まり、楽しい一時を過ごしました。店はセクシー居酒屋となっていましたが、ネットで紹介されているような露出度が高いお嬢さんが接客してくれる店とは違って、いかにも銀座らしい清楚なお嬢さんたちが、ただ、お運びしてくれるだけ。おかげで安心して(?)、歓談に専念できました。

10~20年ぶりに会う方々ばかりですが、そもそもの飲み会の発端は、6年前、ぼくが大学生になったときの入学祝いが延期に延期を重ねたものだとか。ただし、それは単なる口実に過ぎず、本当の主旨は旧交を温め合うもの。
皆さん忙しいので「3時間1本勝負」のはずでしたが、いつしか「4時間半1本勝負」になっておりました。
こちらは翌日、朝から予定があったので、早めに帰宅しましたが、ほかの皆さんは、カラオケなどを楽しまれたご様子。ちょっと後ろ髪ひかれる思いでした。
そんな楽しい会から4日目の昨日、久しぶりに会った坪内さんが、グランプリライダーの姿を撮影した写真集を送ってくださいました。70年代から最近までの2輪グランプリで活躍したライダーとマシンを見て、しばし、甘酸っぱい感傷にひたりました。4輪に比べると、あまり知識のない2輪の世界ですが、それでもアゴスティーニ、バリー・シーン(『ザ・ライダー』という彼の主演映画も見ました)、ジョニー・チェコット、フレディ・スペンサー、ケニー・ロバーツ、ワイン・ガードナー、エディ・ローソン……なんて登場しているライダーの名前を書くだけで、なんかワクワクドキドキしてしまいます。

2輪の免許を取ったのは35歳のときでしたが、そのとき買ったロスマンズ・カラーのワイン・ガードナー・レプリカの革つなぎが先日、押し入れの奥から発見されました。ちょっと足を通してみようと思ったら、ふくらはぎも入らず……。あの頃に比べると体重は15kg以上も増えているからなあ……(;_;)。
この写真集を開いているうちに、今年は2輪グランプリのテレビ観戦もしよう……なんてことを思ったのでありました。
そうそう。この写真集を送ってくださった坪内さんには、ぼくが使っていたMac PlusとレーザーライターIIを引き取っていただいたことがあります。編集業務の版下製作用に使われていたようですが、さすがにレーザープリンターは使えなくなってしまったそうで。それでもMacの方は永久保存にしてくださっているのだとか。初代Mac時代の製品なので、筐体の裏に、設計や開発に関わった人たちの名前が刻まれているんですよね。
そういえば、こちらはこちらで、かつてMacで描いたデジタルコミックの原稿を、なんとか復活させるため、MacコレクターのEさんに助けてもらうことになりました。はたして復活できるのか、わがデジタルコミック???
『我が愛するドンキホーテ達〈2〉』(坪内隆直/ヴェガインターナショナル/2008年10月刊/3,990円)2010年11月30日
読書:佐藤琢磨終わらない夢―F1との決別、もうひとつの戦場ヘ
『佐藤琢磨終わらない夢―F1との決別、もうひとつの戦場ヘ (SAN-EI MOOK)』(松本浩明/三栄書房/2010年11月刊/1,500円)買おうと思ったら品切れになっていて、あれま……と思っていたのですが、いま見たら在庫が復活していたので、ポチッとしてきました。
日本人ドライバーがインディカーシリーズとインディ500で活躍する小説を書いたことがあるもので、ちょっと内容が気になりまして。
著者の松本さんには、1995年夏、「F1速報」誌で連載していた『龍の伝説』というF1レース小説の取材のため、イギリスに取材に出かけたとき、大変お世話になりました。
いま修士論文の執筆で煮詰まっていますが、この年季が明けたら、またモータースポーツにも復帰して、レースを題材にした小説も書いてみたいとう希望を持っております。日本人をNASCARで走らせるってのもアリ?
2010年05月24日
インディ500の旧予選システム #indyjp
本日、今年のインディ500予選が終了して、昨日、プラクティス中にクラッシュした佐藤琢磨選手も、無事、予選を通過したようです。佐藤選手の参戦でインディカーレースを見るようになった人たちの中には、インディ500独特の予選システムに戸惑っている人も多いようで、Twitterでも、そんなボヤキが多く見受けられました。
でも、今年のインディ500の予選は、経済情勢を受けて2日間に短縮されているけれど、以前は、予選だけで4日間も費やされ、その分、最終日のバンプデーもドラマチックになっていたものです。
以下の文章は、『インディカー(秘)講座』という拙著のインディカー入門書のために書いた原稿の一部です。よろしかったら参考にしてください。
★インディ500の予選
インディカー・シリーズの1戦でもあるが、毎年5月に開催されるインディ500だけは、主催者が異なることもあり、独自の予選方式をとっている。
予選では、各ドライバーとも4周を走り、その平均速度で順位を決定する。予選は4回、4日にわたって行なわれる。
決勝レースの2週間前と1週間前の土・日曜日が予選にあてられているが、2週間前の土曜日に行なわれる第1回予選は、ここでポールポジションが決定することから「ポールデー」とも呼ばれている。このポールデーだけでも20万人ほどの観客が集まる。この日に、その年の最も速い男が決定するからだ。
そして、最終日は「バンプデー」と呼ばれている。これは、予選を一度通過しても、それよりも速いドライバーとマシンが出ると、バンプされる(弾き出される)からだ。
その経過を順を追って見ていこう。
予選第1日目は、前日金曜日にクジ引きで決定された順番に、予選をスタートする。予選は、ウォームアップで1周し、2周目から5周目までの合計4周のタイムが計測される。ウォームアップでスピードが乗っていれば、タイムアタックに入るのだが、その指示は、ピットから旗で指示される。スピードが充分に乗らないときは、途中で取りやめることもできるのだが、その場合、もうその日は走ることができない。
一度、4周を走りきると、その合計タイムを4で割り、1周の平均速度が計算される。これが予選スピードとなって、予選順位が決定する。
第1日目に20台が4周を走り切った場合、その20台の中で最も速いドライバーがポールポジションを獲得する。
また、インディ500の場合は、出走枠は33台だが、これを「フィールド」と呼ぶ。
第1日目に20台がフィールドを埋めた場合、第2日目に4周を走り切って予選スピードを記録した者が、速い順に21位から並んでいく。第2日目に、予選第1日目に出た記録されたスピードよりも速いスピードを記録しても、第1日目に決まったフィールドの中には割り込むことができない。予選は、早い者勝ちになっているのである。
こうして第3日、第4日と予選が進むのだが、早ければ、第3日目の予選あたりで、33台のフィールドが埋まる。すると、第1日目から通算して最も遅いドライバーは「オン・ザ・バブル(泡)」と呼ばれ、そのドライバーよりも速いドライバーが出ると、シャボン玉の「泡」が弾けるごとく、フィールドから弾き飛ばされる(バンプされる)のである。33番目のドライバーは、日本風にいえば「泡沫候補」といったところだろう。
一度バンプされたドライバーにも、再アタックのチャンスがある。
しかし、一度予選を完了したマシンでは、その予選に参加できないことになっている。このため、多くのチームがバックアップカーを用意している。エントリー台数が100台にも達するのはこのためだ。
レースカーやバックアップカーを壊してしまって、スペアがないチームは大変だ。こんなときは、予選通過が確実で予備のマシンが余っているチームから、急きょマシンをレンタルしたり購入したりすることになる。こうして、最終第4日目の予選終了時刻まで、この弾き飛ばし合いが行なわれるのである。
なお、インディ500の予選は、マシンを予選通過させるもので、予選だけ他のドライバーに変わってもらうことも可能だ。マリオ・アンドレッティがF1で活躍していた頃は、F1と予選の日程が重なると、予選だけ別のドライバーに走ってもらい、決勝だけ、そのマシンに乗って出場するということもあった。
また、昨年、アル・アンサー・ジュニアを最後の最後まで追い回して2位になったスコット・グッドイヤーは、バンプされて予選不通過になったのだが、同じチームから出走し、33位で決勝進出を果たしたマイク・グロッフのマシンを召し上げて決勝に進出している。
グロッフは91年も33位で予選通過。奥さんやピットクルーが涙を流していたシーンが印象的だったが、92年も、91年の予選を再現したとたんに、マシンを召し上げられることになってしまったのだ。これも契約とはいえ、ドライバーや家族にはつらいものがありそうだ。
『インディカーマル秘講座』(すがやみつる/データハウス/1993年刊)
←Amazonのマーケットプレイスで1円(送料別)で売られています。
でも、今年のインディ500の予選は、経済情勢を受けて2日間に短縮されているけれど、以前は、予選だけで4日間も費やされ、その分、最終日のバンプデーもドラマチックになっていたものです。
以下の文章は、『インディカー(秘)講座』という拙著のインディカー入門書のために書いた原稿の一部です。よろしかったら参考にしてください。
★インディ500の予選
インディカー・シリーズの1戦でもあるが、毎年5月に開催されるインディ500だけは、主催者が異なることもあり、独自の予選方式をとっている。
予選では、各ドライバーとも4周を走り、その平均速度で順位を決定する。予選は4回、4日にわたって行なわれる。
決勝レースの2週間前と1週間前の土・日曜日が予選にあてられているが、2週間前の土曜日に行なわれる第1回予選は、ここでポールポジションが決定することから「ポールデー」とも呼ばれている。このポールデーだけでも20万人ほどの観客が集まる。この日に、その年の最も速い男が決定するからだ。
そして、最終日は「バンプデー」と呼ばれている。これは、予選を一度通過しても、それよりも速いドライバーとマシンが出ると、バンプされる(弾き出される)からだ。
その経過を順を追って見ていこう。
予選第1日目は、前日金曜日にクジ引きで決定された順番に、予選をスタートする。予選は、ウォームアップで1周し、2周目から5周目までの合計4周のタイムが計測される。ウォームアップでスピードが乗っていれば、タイムアタックに入るのだが、その指示は、ピットから旗で指示される。スピードが充分に乗らないときは、途中で取りやめることもできるのだが、その場合、もうその日は走ることができない。
一度、4周を走りきると、その合計タイムを4で割り、1周の平均速度が計算される。これが予選スピードとなって、予選順位が決定する。
第1日目に20台が4周を走り切った場合、その20台の中で最も速いドライバーがポールポジションを獲得する。
また、インディ500の場合は、出走枠は33台だが、これを「フィールド」と呼ぶ。
第1日目に20台がフィールドを埋めた場合、第2日目に4周を走り切って予選スピードを記録した者が、速い順に21位から並んでいく。第2日目に、予選第1日目に出た記録されたスピードよりも速いスピードを記録しても、第1日目に決まったフィールドの中には割り込むことができない。予選は、早い者勝ちになっているのである。
こうして第3日、第4日と予選が進むのだが、早ければ、第3日目の予選あたりで、33台のフィールドが埋まる。すると、第1日目から通算して最も遅いドライバーは「オン・ザ・バブル(泡)」と呼ばれ、そのドライバーよりも速いドライバーが出ると、シャボン玉の「泡」が弾けるごとく、フィールドから弾き飛ばされる(バンプされる)のである。33番目のドライバーは、日本風にいえば「泡沫候補」といったところだろう。
一度バンプされたドライバーにも、再アタックのチャンスがある。
しかし、一度予選を完了したマシンでは、その予選に参加できないことになっている。このため、多くのチームがバックアップカーを用意している。エントリー台数が100台にも達するのはこのためだ。
レースカーやバックアップカーを壊してしまって、スペアがないチームは大変だ。こんなときは、予選通過が確実で予備のマシンが余っているチームから、急きょマシンをレンタルしたり購入したりすることになる。こうして、最終第4日目の予選終了時刻まで、この弾き飛ばし合いが行なわれるのである。
なお、インディ500の予選は、マシンを予選通過させるもので、予選だけ他のドライバーに変わってもらうことも可能だ。マリオ・アンドレッティがF1で活躍していた頃は、F1と予選の日程が重なると、予選だけ別のドライバーに走ってもらい、決勝だけ、そのマシンに乗って出場するということもあった。
また、昨年、アル・アンサー・ジュニアを最後の最後まで追い回して2位になったスコット・グッドイヤーは、バンプされて予選不通過になったのだが、同じチームから出走し、33位で決勝進出を果たしたマイク・グロッフのマシンを召し上げて決勝に進出している。
グロッフは91年も33位で予選通過。奥さんやピットクルーが涙を流していたシーンが印象的だったが、92年も、91年の予選を再現したとたんに、マシンを召し上げられることになってしまったのだ。これも契約とはいえ、ドライバーや家族にはつらいものがありそうだ。
『インディカーマル秘講座』(すがやみつる/データハウス/1993年刊)←Amazonのマーケットプレイスで1円(送料別)で売られています。





