2008年07月05日
■マンガ家色紙コレクション(2)
お待たせいたしました。ご好評にこたえて、マンガ家色紙コレクションの第2弾です。待っていなかった人も、とくに好評でもなかった人も、とりあえず、おつきあいを(画像は、いずれもクリックすると拡大表示されます)。
今回のトップバッターは、日本のマンガを代表する手塚治虫先生。1968年の1月に、池袋にあった丸物というデパート(現パルコ)の催事場に手塚先生の仕事場が再現されたことがありまして、そこに出かけて、当時の産経新聞連載の『鉄腕アトム』を描く様子を見学したあと、サイン会の列に並びました。
『鉄腕アトム』の原稿は、新聞の1ページものだったのですが、何がすごいって、ショックだったのは、鉛筆の下書きは一切なしに、いきなりペンでアトムや人物の絵を描いていったこと。アシスタントは鉛筆で簡単な当たりだけ入れて、背景の計器盤などを描いていましたが、手塚先生は、激しいアクションをするアトムの絵まで、下絵なしなんです。「これがプロ中のプロの仕事かあ……」と、もうびっくり、口アングリでした。
サイン会の列に並び、自分の番になったとき、「何がいいですか?」と手塚先生に訊かれたのですが、もうあがってしまって、「な、なんでもいいです」と答えるのがやっと。そうしたら、この『リボンの騎士』をサラサラと描いてくださいました。線はマジックインキ。色は「顔彩」という日本画用の固形絵の具をつかっておいででした。
長いこと、剥き出しのまま鴨居に飾っていたもので、すっかり変色してしまっています。その大半は、ぼくが吸った煙草のヤニかもしれません。
ご存じ赤塚不二夫先生のキャラクター「チビ太」です。残念なことに、この色紙は直接もらったものではなく、お菓子のポイントを集めてもらったもの。絵は印刷で、サインだけ肉筆です。
ちなみに、ぼくはいま早稲田大学人間科学部eスクールで社会人学生をしていますが、この大学、入学式で新入生にもいきなり校歌を歌わせます。でも、もちろん歌詞なんて知っているわけがない。「都の西北~」と来れば、誰だって「早稲田のトナリ~」と歌いたくなるのが日本人としての人情というものです。もちろんぼくも小声でこっそり、こう歌いました。さすがに最後の「バカ田、バカ田、バカ田~」はハミングにしましたが。eスクールってのは平均年齢が40歳ということもあって、同じように「早稲田のトナリ~」と歌った人が多かったようです。
(右の写真は、東京都下の青梅市にある赤塚不二夫記念館を訪問した際に撮影した記念写真です)
和田慎二さんのサインです。オタクの歴史の中でよく語られる「第1回漫画大会」というのが四谷公会堂を舞台に開催されたのは、1974年くらいのことだったかな。ぼくはマニアっけのあるマンガを描いていなかったこともあって、こんなイベントは無縁だと思っていたのですが、主催者が高校生のときからの知り合いで、「出てこい」と命令されてしまいました。しかたなく出かけていったら、そこで和田さんに紹介されることに。そうしたら和田さんが、その頃ぼくが「冒険王」と「テレビマガジン」に連載していた『仮面ライダー』の絵を描いてほしいといって、いきなり開いたスケッチブックとサインペンを差し出してきたのです。
あちらの方がバリバリの人気マンガ家だったのに、ひょええ……とあわてふためきながら、ヘロヘロの絵を描きました。そのお返しに、このサインをいただいたのであります。あの頃から熊さんみたいな雰囲気でしたね、和田さんは。
マンガ家色紙コレクション(3)へ
今回のトップバッターは、日本のマンガを代表する手塚治虫先生。1968年の1月に、池袋にあった丸物というデパート(現パルコ)の催事場に手塚先生の仕事場が再現されたことがありまして、そこに出かけて、当時の産経新聞連載の『鉄腕アトム』を描く様子を見学したあと、サイン会の列に並びました。『鉄腕アトム』の原稿は、新聞の1ページものだったのですが、何がすごいって、ショックだったのは、鉛筆の下書きは一切なしに、いきなりペンでアトムや人物の絵を描いていったこと。アシスタントは鉛筆で簡単な当たりだけ入れて、背景の計器盤などを描いていましたが、手塚先生は、激しいアクションをするアトムの絵まで、下絵なしなんです。「これがプロ中のプロの仕事かあ……」と、もうびっくり、口アングリでした。
サイン会の列に並び、自分の番になったとき、「何がいいですか?」と手塚先生に訊かれたのですが、もうあがってしまって、「な、なんでもいいです」と答えるのがやっと。そうしたら、この『リボンの騎士』をサラサラと描いてくださいました。線はマジックインキ。色は「顔彩」という日本画用の固形絵の具をつかっておいででした。
長いこと、剥き出しのまま鴨居に飾っていたもので、すっかり変色してしまっています。その大半は、ぼくが吸った煙草のヤニかもしれません。
ご存じ赤塚不二夫先生のキャラクター「チビ太」です。残念なことに、この色紙は直接もらったものではなく、お菓子のポイントを集めてもらったもの。絵は印刷で、サインだけ肉筆です。
ちなみに、ぼくはいま早稲田大学人間科学部eスクールで社会人学生をしていますが、この大学、入学式で新入生にもいきなり校歌を歌わせます。でも、もちろん歌詞なんて知っているわけがない。「都の西北~」と来れば、誰だって「早稲田のトナリ~」と歌いたくなるのが日本人としての人情というものです。もちろんぼくも小声でこっそり、こう歌いました。さすがに最後の「バカ田、バカ田、バカ田~」はハミングにしましたが。eスクールってのは平均年齢が40歳ということもあって、同じように「早稲田のトナリ~」と歌った人が多かったようです。(右の写真は、東京都下の青梅市にある赤塚不二夫記念館を訪問した際に撮影した記念写真です)
和田慎二さんのサインです。オタクの歴史の中でよく語られる「第1回漫画大会」というのが四谷公会堂を舞台に開催されたのは、1974年くらいのことだったかな。ぼくはマニアっけのあるマンガを描いていなかったこともあって、こんなイベントは無縁だと思っていたのですが、主催者が高校生のときからの知り合いで、「出てこい」と命令されてしまいました。しかたなく出かけていったら、そこで和田さんに紹介されることに。そうしたら和田さんが、その頃ぼくが「冒険王」と「テレビマガジン」に連載していた『仮面ライダー』の絵を描いてほしいといって、いきなり開いたスケッチブックとサインペンを差し出してきたのです。あちらの方がバリバリの人気マンガ家だったのに、ひょええ……とあわてふためきながら、ヘロヘロの絵を描きました。そのお返しに、このサインをいただいたのであります。あの頃から熊さんみたいな雰囲気でしたね、和田さんは。
マンガ家色紙コレクション(3)へ2008年07月05日
■セカンドライフに早稲田大学の公式SIM誕生!
ぼくがいま社会人学生として学んでいる早稲田大学(※)が、あのセカンドライフに公式SIMをオープンしました。
■ニュースリリース
■セカンドライフ Waseda University SLURL
人の気配は、ほとんどありませんが、早稲田大学の生協で売っているような応援ノベルティのようなものが、たくさん用意されています。
早稲田大学の現役学生、OB、OGの皆さん、もしセカンドライフをご利用でしたら、ぜひ、お試しください。
※ぼくが学んでいるのは「早稲田大学人間科学部eスクール」といいまして、インターネットを使った通信制の大学です。
■ニュースリリース
■セカンドライフ Waseda University SLURL
人の気配は、ほとんどありませんが、早稲田大学の生協で売っているような応援ノベルティのようなものが、たくさん用意されています。
早稲田大学の現役学生、OB、OGの皆さん、もしセカンドライフをご利用でしたら、ぜひ、お試しください。




※ぼくが学んでいるのは「早稲田大学人間科学部eスクール」といいまして、インターネットを使った通信制の大学です。



