2008年07月26日

■『仮面ライダー青春譜』第14回

 第2章 紙の街に生まれて

●新人の登龍門「街」

 同じ頃、セントラル出版(セントラル文庫)という貸本店向け出版社が、「街」という短編集を出し、「影」と人気を張り合っていた。ここで活躍していたのは、出崎統、荒木伸吾といった都会派アクションを描くマンガ家たちだった(彼らも、劇画という呼称は使っていなかったはずなので、ここではマンガ家と呼ぶことにする)。
 出崎統は、バラリと前髪がたれたハンサムな若者が、〈グリースガン〉という進駐軍払い下げの軽機関銃{サブマシンガン}をぶっぱなすマンガばかり描いていた。
 ムーディーな青春マンガが得意だった荒木伸吾は、キャラクターの瞳の中に少女マンガのような十字の光を描いていた。
 出崎も荒木も、貸本劇画、貸本マンガの衰退とともに、いつしか姿を消してしまったが、やがて虫プロ製アニメのクレジットに、その名前を見るようになる。
 出崎統は『悟空の大冒険』で演出をつとめ、「COM」の創刊号からは『悟空の大冒険』のマンガを連載した。荒木伸吾も、いくつかのアニメ作品の中で名前を見つけたが、虫プロには、ほかにも「街」出身者がいた。もりまさき――のちの真崎守である。
 もりまさきが「街」の新人賞を受賞したのは昭和三十五(一九六〇)年のことだ。
「街」では月例で新人賞を発表していたが、もりは、一度に二作が入選し、その二作が同時掲載されるという破格の扱いでデビューした。
 一作は『雨の白い平行線』というタイトルで、薄幸の少女が列車に飛び込み自殺するという暗い話だった。その絵も、斜線が多用された暗いムードで、そのペンの黒い斜線のかけ合わせの上に、さらにホワイトの細い線がかけ合わされた独特の暗いとしかいいようのないムードを持った作品だった。
 もう一作は『暗い静かな夜』という題名で、やはり同じようなムードを持った短篇だった。
 余談だが、後年、マンガ専門の編集プロに勤務したとき、真崎守氏に電話でデビュー作についてのインタビューをする機会があった。
貸本劇画など 真崎氏は、デビュー作として、六〇年代の終わりに青年コミック誌に掲載した殺し屋を主人公とした作品の名をあげたのだが、ぼくが、『燃えてスッ飛べ』(一九六五年/東京トップ社)や『雨の白い平行線』の名前を出すと、「なんで、そんな作品まで知ってるの!」と驚いて、しぶしぶながらも『雨の白い平行線』の名前をデビュー作として雑誌に載せることを了承してくれた。
 それもこれも中学生のときに焼きそば店で読んだ『雨の白い平行線』の印象が強かったからである。高校生になってから東京トップ社の短篇劇画集「刑事」で、もりまさきが永島慎二と共著で『燃えてスッ飛べ』を上梓しているのを知り、あわてて東京トップ社に購入の申し込みをしたこともあった。この本は、いまも残っているが、おまけでついてきたナマ原稿は消息不明のままだ(写真の中にあるのが当時、購入した『燃えてスッ飛べ』。巻末には、その後「COM」の読者欄につながる「ぐらこん」のページがある)。
「街」では、ほかにも多くのマンガ家が誕生した。宮脇心太郎、吉元正、五十嵐幸吉、のちに「ガロ」でナンセンスマンガを描き出す星川てっぷも、本名で新人賞に入選していたはずだ。
 最近、偶然に知り合った横山まさみち氏のご子息からいただいた横山氏の作品。新書コミック登場後にB6の小型サイズで復刊された作品。
 吉元正は、その後、横山まさみちのアシスタントとなり、横山まさみちプロ(通称「よこみちプロ」)から『鉄火野郎シリーズ』などを発表。やがて絵柄をガラリと変えて、青年コミック誌の「漫画ストーリー」や「漫画アクション」(ともに双葉社)に登場する。ペンネームはバロン吉元に変わっていた。

「街」をはじめとする貸本店向け単行本の多くは、さいとう・たかをを中心としたアクション劇画に押され、次第に姿を消していった。
 短期で姿を消した「宝島」という短編集があった。永島慎二、石川球太、つげ義春、コン・太郎(「一生懸命ハジメくん」のコンタロウではない)、深井ヒローなどが、だるまプロという名前で出していた貸本店向けの短編集だ。だるまプロは、武蔵野マンガプロダクションという若手マンガ家グループが前身だったのではないか。つげ義春の作品も載っていたが、後の「ガロ」の時代とは、まるで異なる作風だった。
 とくに印象に残っているのがコン・太郎だ。少年雑誌の別冊フロクにも、少年探偵がメッサーシュミットという三輪自動車に乗って、ひらきかけた開閉式の勝鬨橋を飛び越えるマンガなどを描いていた。
 スマートな絵柄で好きだったのだが、すぐに単行本でも雑誌でも見かけなくなった……と思ったら、いつのまにかイラストレーターへの華麗なる転進をはかっていた。筒井康隆氏の小説の装幀を手がけるなど、幻想的な作風で知られる杉村篤氏がその人だ。
 同じ「宝島」にマンガを描いていた深井ヒロー(深井日郎)も、その後、深井国と名前を変えてイラストレーターとなり、現在も活躍をつづけている。
「宝島」の読者欄には、後に『風のフジ丸』や『スーパージェッター』、『冒険ガボテン島』などで活躍する久松文雄が「マンガ家になりたい」という手紙を寄せていた。年齢は十二歳か十三歳だったはず。住所は新潟で、国鉄の官舎だった記憶がある。久松文雄が「漫画王」に投稿したマンガでデビューするのは、この直後。十四歳、中学二年生だった。

  つづく


  

Posted by すがやみつる/菅谷充 at 00:56 Comments(1)TrackBack(0)