2008年07月30日

■『仮面ライダー青春譜』第19回

 第2章 紙の街に生まれて

●マンガ家になりたい!

『マンガ家入門』を読んで、再びマンガに取り組むことになったのだが、以前ほどにはスラスラと描けなくなっていた。本文で解説されていたテクニックの数々に翻弄され、消化しきれずにいたからだ。
 中学最後の夏休みは、あっというまに終わり、誰もが高校受験のことで頭がいっぱいになる二学期になった。教室では第一志望の県立高校のこと、滑り止めに受ける私立高校のことが、いつも飛び交っていた。
 そんな喧噪を背に、ぼくは、ひとりマンガのアイデアを練り、コマ割りを進めていた。
 ――二学期中にマンガを描き上げ、石森章太郎「先生」のところに送ろう。「弟子かアシスタントにしてください」という手紙を添えて……!
 こんな決意を固めていたからだ。
 どうせ、高校にいけないのなら、好きなことを職業にしたかった。マンガを描いて石森章太郎先生のところに送れば、きっと道はひらけるはずだ。ぼくは大まじめに、そう考えていた。
 石森先生のところに中途半端な作品を送ったら失礼になる。きちんとストーリーを完結させたものを送るのだ。そのためには、最後までコンテを作ってから作画にとりかかる必要があった。
「本当に、高校にいかなくてもいいのかい?」
 二学期も半ばになった頃、突然、母がいった。中三も終わりに近づいているのに、マンガに熱中してばかりいるぼくを見て、さすがに母も不安になってきたらしい。
「いま描いてるマンガを石森先生に送ってみて、弟子入りがダメだったら考えるからさ」
 そう返事したものの、ぼくは、かなりの確率で弟子入りができるのではないかと、脳天気に考えていた。周囲の同級生は、必死に高校入試の受験勉強をつづけていたが、そんなことは気にならなくなっていた。
 ――マンガを描くことが、ぼくにとっての受験勉強だ!
 本気でそう考えていた。
 しかし、マンガが完成する前に、高校の志望校を決める日がやってきた。
 そこでぼくは、とりあえず県立の工業高校を志望校にした。製図でもやっておけば、将来、マンガの役に立つかもしれないと思ったからだ。経済的な事情から私立高校への進学は、最初から考えには入っていなかった。
 そこそこレベルの高い工業高校だったが、入試については心配していなかった。合格できるだけの学力は維持しているつもりだったからだ。
 とにかく石森先生の弟子になるのが大本命で、高校受験は滑り止めのつもりだった。
 同級生たちが受験勉強にはげんでいる間も、必死にマンガを描きつづけたほくは、冬休みに入ってラストスパートをかけ、年明け早々に、ようやく原稿を完成させた。三二ページのSFマンガである。
 ぼくは完成した原稿と弟子入り志願の手紙、そして、母に書いてもらった弟子入りの同意書を大判の封筒に入れ、祈るような気持ちで近所の郵便局から発送した。
 宛先の住所は、東京都新宿区弁天町四十三。宛名は、もちろん石森章太郎先生だ。
 毎日、毎日、首を長くして返事を待った。
 が、二週間たっても三週間たっても返事は届かない。
「やっぱりだめだったんだよ」
 一ヶ月ほどが過ぎたとき、母が無情にいった。現実を思い知らせようとしたのにちがいない。
「しかたないから、高校にいくんだね。いまどきマンガ家だって、高校くらい出てないと、誰も相手にしてくれやしないよ」
 こうして、いやいやながらも高校を受験することになったのだが、担任教師に頼み込んで、近隣の高校のなかで一番近い〈普通高校〉のF高校に志望校を変えてもらうことにした。願書提出締切日の前日のことだった。この時点では、普通高校の〈普通〉が何を意味するものか、まったく知らずにいた。
 高校の入試は、何の準備もしていなかったのに、スンナリと合格した。合格したのはいいが、マンガ家への道のりが長くなるような気もして、複雑な気分だった。
 その一方で、ぼくの高校合格は、わが家にとっての一大事にもなっていた。上に五人いる腹ちがいの兄と姉のうち、男三人は父親に反抗して、中学も卒業しないうちに家を飛び出していた。父親の暴力に耐えかねてのことだ。
 二十歳以上も年の離れた長兄は、ぼくの学校貯金までおろして博打につぎ込み、母の着物や家財道具もすべて質屋に叩き込んでいた。
 それなのにこの長兄は、ぼくの高校の合格発表の日になると、早朝からF高校に出かけ、「この野郎、門を開けろ! 開けねえと、ぶっからすぞ(静岡弁で、ぶんなぐるぞの意味)」
 と、守衛を大声で脅し、まだ閉じていた門を開けさせたのだという(本人談)。合格発表の掲示板にぼくの名前があるのを確認した長兄は、自転車でわが家まで走ってくると母にぼくの高校合格を告げ、そのままどこかに走り去っていった。
 走っていったのは、近所の商店街だった。長兄は、酒屋のシャッターを叩いて店を開けさせ、「俺の弟がF高校に合格した祝いだから」と、店の前を通る通勤途上の人たちに、ふるまい酒をしたのだという。わが家にとっては、身内から高校に入る者が出ることだけでも、一世一代の大イベントになった。これが、いつわりのないわが家の環境であり、実態だった。
 そして、ぼくは高校生になった。昭和四十一(一九六六)年四月のことである。

  第2章おわり
  第3章へつづく


  

Posted by すがやみつる/菅谷充 at 14:57 Comments(1)TrackBack(0)