2008年12月11日

すがやみつるのネットライフ第1回:長いプロローグ(1)

 前回のブログ「ジンとくる初音ミク」を読んだ方から、「以前、すがやみつるホームページのblogに掲載されていた『すがやみつるのネットライフ』をもう一度読みたい」というメールをいただきました。

 そこでハードディスクの片隅からファイルを掘り起こし、あらためて掲載させていただきます。ビジュアル資料も増やしますので、ご期待(?)を!

すがやみつるのネットライフ(第1回)

■長いプロローグ――ネットワーク夜明け前(1)

●マイコンからパソコンへ

「マイコン」というものに生まれて初めて会ったのは1976年のことだった。

 ところは電気街の秋葉原。駅前のラジオ会館の7階に開店した「ビットイン(Bit-INN)」というマイコン専門ショップの店内に、その不思議な物体は展示されていた。
ビットイン跡地の銘板 ビットインは、NECから発売されたTK-80というマイクロコンピューター・キットのショールームとしてオープンした店で、日本初のマイコン専門店でもあった。そのためか、現在、ラジオ会館7階のビットインがあった場所の壁には、「日本のパソコン発祥の地」という銘板が埋め込まれている(写真は筆者撮影)。

 TK-80は、インテルの8080Aと同等のNEC製μPD-8080AというCPUを使ったワンボードのマイクロコンピューター・キットで、プリント基板の上にCPUやメモリーのチップが剥き出しで並び、電卓のような小さなキーボードと、数字を表示する「日」の字型の7セグメント発光ダイオード(LED)がついていた。

 マイクロコンピューターは、登場したとたんに「マイコン」という略称で呼ばれるようになった。「マイコンはマイ・コンピューター(私のコンピューター)の略」という説(※1)もあったが、「マイクロ・コンピューター」の略称の方が一般的になった。

(※1=名著『マイ・コンピュータ入門』〔安田寿明・著/講談社ブルーバックス〕等)

 マイコンという言葉は、あっというまに世間に普及していくが、「マイコンで、いったい何ができるのか、サッパリわからない」というのが、当時の一般の人々の反応だった。

 ラジオ会館にオープンしたビットインは、そんな世間の声に応えるかのように、光電管内蔵の拳銃を使った射撃ゲームやHOゲージの鉄道模型の制御など、マイコンを使ったデモが、常時、展示されていた。ぼくも暇さえあればビットインに出かけ、マイコンを眺めていたのだが、いつまでたっても何がなんだかチンプンカンプンというのが正直な感想だった。

 ぼくは、子供の頃からラジオいじりが好きで、真空管やトランジスタを使ったラジオや無線機を組み立てては楽しんでいた。その延長で高校卒業の直前にアマチュア無線の免許を取得した。すでにマンガ家のアシスタントになることが決まっていたが、この機会を逃すと、一生アマチュア無線の免許を取る機会はなくなってしまうのではないか……と考えての行動だった。

 マンガ家になり、生活にゆとりができると、すぐに秋葉原に出かけて無線機を買い、アマチュア無線をスタートした。ハム仲間と無線で交信しながら徹夜仕事の眠気を覚まし、仕事が終ると秋葉原に出かけては、ジャンク屋でパーツを漁る日々のはじまりでもあった。

 だから多少はエレクトロニクスにも強いつもりでいたのだが、悲しいことに生まれ育ったのは真空管全盛の時代。身も心もアナログの人間には、2進数のデジタルの世界は理解したくとも、どこから手をつけていいのかさえもわからない摩訶不思議な世界だった。

 まずハードウェアがわからない。真空管やトランジスターを使った装置なら、回路図を見れば、部品の働きも見当がついた。ごく初期のIC(集積回路)なら、CQ出版社から発売されていた「等価回路表」という小さな本をひらけば、おおよその機能は推測できたものだ。しかし、顕微鏡でないと見ることができない超集積回路のLSIになると、真空管やトランジスタだけの知識だけでは、もはやお手上げの状態だった。

 何よりもわからないのが、プログラムだった。0から9までの数字と、AからFまでのアルファベットによる16進数で書かれたマシン語のプログラムは、宇宙人の言語のように思われた。

 プログラムを書くためには、まず、フローチャートという流れ図を描き、その図を見ながらアセンブラという命令語を書いていく。紙と鉛筆でマシン語に翻訳する方法は、ハンドアセンブルと呼ばれていた。この手順で書かれたマシン語のプログラムを電卓みたいなキーボードで打ち込んでいくのだが、基本的な知識として必須の16進数と2進数の関係もわからない。

 マイコンに関する本も出版されはじめていたので、片っ端から読んでみることにした。一番のベストセラーになったのは、『マイコン入門』(廣済堂出版)という本だった。これはNECのTK-80について解説した本で、30万部以上も売れたという。しかし、この本で紹介された機械語やアセンブラについての文章を理解した人は、1割どころか1パーセントもいなかったにちがいない。

「なんでもマイコンというものが登場して、社会に大変革をもたらすらしい」

 そんな認識だけで『マイコン入門』を買った人が圧倒的多数だったのだ。

『マイ・コンピュータ入門』(安田寿明)
『マイ・コンピュータをつくる』(安田寿明)
 名著『マイ・コンピュータ入門』と『マイ・コンピュータをつくる』。こんな本が当時(1970年代後半)のマイコン少年&青年たちのココロを熱くした。
 ぼくにとっては、『マイコン入門』よりも、前述の『マイ・コンピュータ入門』(安田寿明・著/講談社ブルーバックス)という本のほうが、はるかにマイコンを理解するうえで参考になった。回路図も含めたハードウェアの説明が、やさしくていねいに書かれていたからである。もちろん完全に理解できたわけではないが、著者の熱い情熱が、ぼくの心をとらえて放さなかったのだ。

『されどわれらが日々― (文春文庫)』 著者は、マイコンのチップを買いに出かけたのはいいが、帰りのバス賃が足りなくなり、静電気防止用のアルミホイールに包まれたチップを手に、徒歩で帰ったという。その記述を読んだとたん、高校生の終わりに胸を熱くして読んだ短編小説「ロクタル管の話」柴田翔・著/文春文庫『されどわれらが日々』所載)を思い出したりしたものだった。ちなみに『されどわれらが日々』の内容は、最後に飛び込み自殺のシーンがあったようなことしか憶えていない。

 IBMに代表される大企業でしか使われていないコンピューターが、個人でも使えるようになる!――『マイ・コンピュータ入門』は、そんな興奮と熱気がひしひしと伝わってくる本だった。

ロクタル管※右の写真は、ネットで『ロクタル管の話』をしていたら、それを読んだベテラン・エンジニアの方がプレゼントしてくださったロクタル管の実物。ドイツのジーメンス社製「C3g」という製品。(クリックで拡大します)


 こんな本の影響を受けて、とりあえずデジタル回路の勉強だけでもしてみようと、「エレキット」というシリーズの簡単なロジック回路の工作キットを組み立ててみたりもした。しかし、ICと発光ダイオードを組み合わせたAND、NAND、OR、NOR、NOT……といった論理回路を作ってみても、これがどうコンピューターに結びつくのかがわからない。

 こりゃダメだ――とマイコンをあきらめかけた頃、マイコン雑誌で頻繁に紹介されるようになったのがBASICだった。

 TK-80Kに接続するテレビモニターやキーボードも発売され、BASICの入門書も登場してくるようになった。マイコン雑誌にBASICのプログラムがソノシートでついてきたのもこの頃のことだ。

 秋葉原のマイコンショップには、アメリカから輸入されたコモドール社の「PET-2001」、アップル社の「Apple II」など、フルキーボードを持ち、かつBASICの使える「マイコン」が並ぶようになる。

 さらに日立の「ベーシックマスター」NECの「TK-80BS」のように、最初からBASICが使えるパーソナルコンピューターの発売も開始される。タイプライターのようなフルキーボードがついて、テレビ型のモニターに文字を映し出せるようになったマシンたちだ。
 まだ「パソコン」という言葉は定着していおらず、「パーコン」と表記していた雑誌もあった頃だ。もっとも「パーコン」という言葉は、語呂のイメージが悪かったせいか、すぐに見当たらなくなった。

 16進数のマシン語や、意味不明のアルファベットを並べたアセンブラは理解できなかったが、「GOTO」「PRINT」「GOSUB」「RETURN」といった簡単な英単語が命令語となっているBASICなら、少しは理解できそうな気になってきた。

 1978年になると、シャープがセミキットの「MZ-80K」を発売する。秋葉原にもマイコンショップが増え、新宿あたりにもマイコンショップが誕生するようになってきた。西新宿にあったマイコンベースというショップでは、1回100円で、「Apple II」で動く「スタートレック」のゲームをやらせてくれた。すでに街には「スペースインベーダー」の電子音が響きわたっていたが、敵のクリンゴンとの駆け引きが必要になる「スタートレック」ゲームは、ゲームセンターのゲームよりも、ずっと知的な気がしたものだ。

 自分の「マイコン」で「スタートレック」を思いきりプレイしたい――それが当時のマイコン少年たちの夢でもあった。

 ぼくのパソコン欲しい病も頂点に達しかけていた。

  つづく

Posted by すがやみつる/菅谷充 at 11:54 │パソコン/ネット
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長いこと「仮面ライダー青春譜」を楽しみに読んでいたすがやさんのブログで、「すがやみつるのネットライフ」が始まってます。 すがやみつるのネットライフ第1回:長いプロローグ(...
[ブログ][PC]すがやみつるblogで「すがやみつるのネットライフ」が始まっている【a.sueの日記 はてな版】at 2008年12月14日 11:06
「ポチオク」から学ぶ搾取学
http://shunmh.blog116.fc2.com/blog-entry-332.html
ポチオクについて
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1236721277
よくこ...
7月3日のレコメンドなニュース&まとめスレ---ポチオクの問題点、ソニー自動車、セックスボランティア、ボラバイトという奇形的商業主義、すがやみつると黎明期PC【深夜2110(深夜ニート、旧レフタブログ)】at 2010年07月03日 19:07
この記事へのコメント

 うーん、他のことをしようとしていたのに・・こんなものが飛び込んできてしまった。読まざるを得ない。
Posted by インスピ at 2008年12月11日 12:39
青春譜が終わって寂しかったのですが、また日々の楽しみが増えました。
期待しています。
Posted by わか at 2008年12月11日 15:39
 いま、大学の卒論に追いまくられているので、毎日の更新はできないかと思います。その点、ご了承ください。
Posted by すがやみつる at 2008年12月11日 16:11
また、じっくり読ませてもらいます。
実は小さいころPC-6001を使ったことがあるので、
その辺の話も楽しみにしています。

ちなみに俺は真空管アンプを自作したいと思ってます。
まずは、金と入門書からですが…
Posted by コブリ at 2008年12月12日 22:49
>コブリさん

 PC-6001は、とっくに処分したものとばかり思って、数年前、アスキーからPC-6001の関連本が出たときは、編集部で用意してくれたマシンを抱いて写真撮影などしたのですが、なんと先日、我が家の押し入れに1台眠っているのが発見されました。2台持っていたうちの1台です。

 同時に購入したNECのモニターは、今年の初めまで家族のゲーム用に使われていましたが、26年の天寿を全うして、お亡くなりになりました。

 真空管アンプですかあ……。ぼくはオーディオには興味がなく、真空管を使って作るのは送信機ばかりでした。音声を電波に乗せるための変調回路はオーディオアンプそのものでしたが。あ、高校生のときには、エレキギター用のアンプを組み立てたことがあります。古いラジオを改造したもので、トレモロ(6BA6という真空管を使用)やリバーブ回路(古いステレオから取りはずしたコイル式のリバーブユニットを使用)がついたものですが、ケースもなく、スピーカーも剥き出しのものでした。

 真空管は、暗いところで見ていると、赤みがかったオレンジ色のヒーターの色が温かみと郷愁を誘います。
Posted by すがやみつる at 2008年12月13日 12:05
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