2008年07月23日
■『仮面ライダー青春譜』第12回
第2章 紙の街に生まれて
●もう一人の「影丸」――貸本劇画の時代
「おい、菅谷。おまえ、『影丸』のマンガ、読んでるか?」
中学二年生のとき、休み時間にKというクラスメイトがぼくに声をかけてきた。
「影丸」といえば、『伊賀の影丸』しか思いつかなかった。
「横山光輝の?」
「ちがう、ちがう。白土三平のマンガだってば。『忍者武芸帳』といって、首を切られても生きてるすごい忍者なんだ」
「白土三平って、そんなマンガも描いてたの? 雑誌では見たことないけどなあ」
「雑誌じゃなくて貸本屋にある単行本だってば。初めてのときは、生徒手帳を預けて借りる仕組みになってるんだ」
「へええ……」
ぼくは、その話を聞いて、初めて貸本屋というところに足を向けた。それまでさんざんマンガを読んでいながら、貸本屋には縁がなかった。市内に貸本屋は二、三軒あったが、歩いていけるのは一軒だけ。あとは自転車が必要なほど遠かった。
貸本屋は、商店街の隙間にひっそりと埋もれていた。間口一間ほどの狭い店だ。
ウナギの寝床のように狭くて奥行きのある店内は、両側の壁に一面ずつ書棚があり、さらに店の真ん中を仕切るように裏表一面ずつの書棚があった。
計四面の書棚に並んでいるのは、それまであまり目にしたことのない種類のマンガばかりだった。
焼きそば店や理容店の待合室にも、業者が定期的に運んでくる貸本店向けのマンガ本が並んでいたが、どちらも手垢にまみれたような古い本が多かった。
いま考えると、貸本屋で借り手がつかなくなったマンガや劇画の単行本が、焼きそば店や理容店向けに巡回していたように思われる。東京オリンピック(一九六四年)の直前あたりだったが、それよりもだいぶ古い作品が大半だった。平田弘史氏が、かぶらペンの先をペンチで切り、グラインダーと砥石で研いだオリジナルのペン先を使っているという情報(第1章参照)を得たのも、理容店の待合室で読んだ古い貸本店向けの単行本だった。たぶん時代劇画専門の短編誌「魔像」あたりではなかったかと思う。
平田氏の作品のように、息を呑むような作品もあったが(名作『つんではくずし』を怖々と読んだのも、理容店だったような気がする)、少年雑誌に載っているマンガに比べると、泥くさく、また、ヘタクソに見える作品が多かった。そんなこともあって、貸本用のマンガや劇画には、いまひとつ興味が持てずにいたのだ。
また、貸本店は、飲み屋やパチンコ店が並ぶ盛り場の一角にあり、子どもには近づきがたい雰囲気があった。しかも店に出入りする客は、チンピラ風の若者や水商売風の男女ばかり。ヤバイ臭いがプンプンだった。
勇気をふるって貸本屋に入ってはみたが、最初に本を借りるときに生徒手帳を預けなければいけないという。学校では、ときどき抜打ちの持ち物検査があり、生徒手帳を持っていないと、立たされたりもする。そのことが不安になって、この日は、本を借りずに帰宅した。
翌日、学校でKに昨日のことを話すと、生徒手帳を預けなくても本を借りられる別の貸本店を教えてくれた。
その店は、東海道本線の駅を挟んだ反対側にあった。中学校の学区も異なる地域だったため、そんなところに貸本屋があることは知らずにいた。
ここでは、店番をしている初老のおばさんが、生徒手帳で住所と名前を確認するだけで、あとは何もいわずに本を貸してくれた。
最初に借りたのは『忍者武芸帳』ではなかった。誰かが借りていたのか、店内には一冊も見当たらなかったからである。
ぼくは、さいとう・たかをの『台風五郎』シリーズを二冊ほど借りてきた。子供の頃に見ていた日活アクション映画に似た雰囲気に惹かれたからである。
それまでにも、焼きそば店や理容店で、さいとう・たかをの作品を読んではいたが、その大半は、「ゴリラ・マガジン」や「刑事」といった短篇劇画集に掲載された短編ばかりだった。
『台風五郎』を読んだぼくは、少年マンガ雑誌にはない貸本劇画の迫力に打ちのめされ、これがきっかけで、貸本屋に通い詰めることになる。
佐藤まさあきは、絵は好きではなかったが、暗いムードと復讐譚を中心とした恨みの物語に魅せられた。
『忍者武芸帳』は、その後も、なかなか借りるチャンスに恵まれず、まとめて読むのは、小学館で文庫が出てからのことになる。
『忍者武芸帳』を熱心に読もうと思わなかったのは、「サスケ」などの少年マンガと比べると、絵が荒々しく雑に見えたからだ。さいとう・たかをの絵が、迫力ある荒さで描かれているのは許せるが、雑誌の丁寧な絵を見慣れていた白土三平の方は、その荒さが、手抜きのように思えてしまったのだ。読者というのは、本当に勝手なものである。
つづく
●もう一人の「影丸」――貸本劇画の時代
「おい、菅谷。おまえ、『影丸』のマンガ、読んでるか?」
中学二年生のとき、休み時間にKというクラスメイトがぼくに声をかけてきた。
「影丸」といえば、『伊賀の影丸』しか思いつかなかった。
「横山光輝の?」
「ちがう、ちがう。白土三平のマンガだってば。『忍者武芸帳』といって、首を切られても生きてるすごい忍者なんだ」
「白土三平って、そんなマンガも描いてたの? 雑誌では見たことないけどなあ」
「雑誌じゃなくて貸本屋にある単行本だってば。初めてのときは、生徒手帳を預けて借りる仕組みになってるんだ」
「へええ……」
ぼくは、その話を聞いて、初めて貸本屋というところに足を向けた。それまでさんざんマンガを読んでいながら、貸本屋には縁がなかった。市内に貸本屋は二、三軒あったが、歩いていけるのは一軒だけ。あとは自転車が必要なほど遠かった。
貸本屋は、商店街の隙間にひっそりと埋もれていた。間口一間ほどの狭い店だ。
ウナギの寝床のように狭くて奥行きのある店内は、両側の壁に一面ずつ書棚があり、さらに店の真ん中を仕切るように裏表一面ずつの書棚があった。
計四面の書棚に並んでいるのは、それまであまり目にしたことのない種類のマンガばかりだった。
焼きそば店や理容店の待合室にも、業者が定期的に運んでくる貸本店向けのマンガ本が並んでいたが、どちらも手垢にまみれたような古い本が多かった。
いま考えると、貸本屋で借り手がつかなくなったマンガや劇画の単行本が、焼きそば店や理容店向けに巡回していたように思われる。東京オリンピック(一九六四年)の直前あたりだったが、それよりもだいぶ古い作品が大半だった。平田弘史氏が、かぶらペンの先をペンチで切り、グラインダーと砥石で研いだオリジナルのペン先を使っているという情報(第1章参照)を得たのも、理容店の待合室で読んだ古い貸本店向けの単行本だった。たぶん時代劇画専門の短編誌「魔像」あたりではなかったかと思う。
平田氏の作品のように、息を呑むような作品もあったが(名作『つんではくずし』を怖々と読んだのも、理容店だったような気がする)、少年雑誌に載っているマンガに比べると、泥くさく、また、ヘタクソに見える作品が多かった。そんなこともあって、貸本用のマンガや劇画には、いまひとつ興味が持てずにいたのだ。
また、貸本店は、飲み屋やパチンコ店が並ぶ盛り場の一角にあり、子どもには近づきがたい雰囲気があった。しかも店に出入りする客は、チンピラ風の若者や水商売風の男女ばかり。ヤバイ臭いがプンプンだった。
勇気をふるって貸本屋に入ってはみたが、最初に本を借りるときに生徒手帳を預けなければいけないという。学校では、ときどき抜打ちの持ち物検査があり、生徒手帳を持っていないと、立たされたりもする。そのことが不安になって、この日は、本を借りずに帰宅した。
翌日、学校でKに昨日のことを話すと、生徒手帳を預けなくても本を借りられる別の貸本店を教えてくれた。
その店は、東海道本線の駅を挟んだ反対側にあった。中学校の学区も異なる地域だったため、そんなところに貸本屋があることは知らずにいた。
ここでは、店番をしている初老のおばさんが、生徒手帳で住所と名前を確認するだけで、あとは何もいわずに本を貸してくれた。
最初に借りたのは『忍者武芸帳』ではなかった。誰かが借りていたのか、店内には一冊も見当たらなかったからである。
ぼくは、さいとう・たかをの『台風五郎』シリーズを二冊ほど借りてきた。子供の頃に見ていた日活アクション映画に似た雰囲気に惹かれたからである。
それまでにも、焼きそば店や理容店で、さいとう・たかをの作品を読んではいたが、その大半は、「ゴリラ・マガジン」や「刑事」といった短篇劇画集に掲載された短編ばかりだった。
『台風五郎』を読んだぼくは、少年マンガ雑誌にはない貸本劇画の迫力に打ちのめされ、これがきっかけで、貸本屋に通い詰めることになる。
佐藤まさあきは、絵は好きではなかったが、暗いムードと復讐譚を中心とした恨みの物語に魅せられた。
『忍者武芸帳』は、その後も、なかなか借りるチャンスに恵まれず、まとめて読むのは、小学館で文庫が出てからのことになる。
『忍者武芸帳』を熱心に読もうと思わなかったのは、「サスケ」などの少年マンガと比べると、絵が荒々しく雑に見えたからだ。さいとう・たかをの絵が、迫力ある荒さで描かれているのは許せるが、雑誌の丁寧な絵を見慣れていた白土三平の方は、その荒さが、手抜きのように思えてしまったのだ。読者というのは、本当に勝手なものである。
つづく
Posted by すがやみつる/菅谷充 at 16:15
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