2009年08月24日

すがやみつるのネットライフ(第25回)

すがやみつるのネットライフ(第25回)

■第3章 ニフティサーブがはじまった(1987年)

●モータースポーツ・フォーラムのSysOp就任

(ひさしぶりの掲載ですみません)

 1987年4月、ついに待望のニフティサーブがスタートした。

 この直前、ニフティサーブの開始を発表する記者会見に、ぼくもフォーラムを運営するSysOpの代表として出席した。ニフティサーブは、フォーラムを運営するSysOpに対し「ロイヤリティ」という名目の報酬を支払うことを発表し、ぼくも、「ひょっとすると専業SysOpになれるかもしれない……」という甘い野望を抱いていた。

 とりあえずは社員を何人も抱える株式会社の経営者であったが、「フォーラムの運営で得た収入で生計が立てられたら、マンガの仕事はやめて、小説の投稿を始めよう」というプランを、ついに実践するときが来たのだ。

 ニフティサーブでは、何人かの“有名人”がフォーラムのSysOpに就任していることがウリのひとつになっていた。釣り名人や、ぼくと同業のベテラン漫画家といった方である。いちおうぼくも、そんな“有名人SysOp”のひとりとして起用された雰囲気があった。

 ただし、他の有名人SysOpは名前を貸しているだけで、実際にフォーラムを運営するのはNIFの社員など、別の人だった。

 ぼくは、そんな名前だけのSysOpになるつもりはなかった。なんといっても専業SysOpになる野望を抱いていたからである。だから、ぼくが経営しているマンガ・プロダクションで、フォーラムを運営する形態を取った。パソコンにハマってから設立したわが社は、コンピューターのソフト開発や関連事業も定款に記していたので、会社としてフォーラムを運営することにも支障はなかった。いずれにせよ、ぼくは、マンガ家もやめて、プロのSysOpになる気ムンムンだったのだ。

 さらにぼくは、フォーラムというシステムについては、ニフティサーブを運営するNIFの人たちよりも通じている、という自負も持っていた。もちろん、国内外でのパソコン通信歴も2年になり、ニフティサーブが提携し、モデルとするはずのコンピュサーブでも、オートレーシング・フォーラムを中心に、睡眠を忘れるほどの活動をつづけていたからである。コンピュサーブのオートレーシング・フォーラムでは、「日本担当エディター」という名のスタッフにもなっていたため、フォーラム運営の裏側にも詳しくなっていた。

 ニフティサーブのスタートに当たっては、コンピュサーブ・オートレーシング・フォーラムSysOpのマイクさんから、こちらのフォーラムのデータライブラリーに入れるといいといって、F1やインディカー関連のデータがフロッピーディスクで送られてきた。コンピュサーブからNIFを通じて送られてきた公式データとしてである。

 すでにアスキーネットでは、勝手連的に、国内外のレース速報をつづけていた。富士スピードウェイや鈴鹿サーキットのビッグレースに出かけては、PC-8201やFM-16πで速報しつづけていた。

 しかし、個人でレース速報をつづけるのには限界がある。より多くの情報が入るようにするためには、やはり自動車メーカーの協力をあおぐ必要があった。

 といってもパソコン通信など、まだ海のものとも山のものともわからなかった時代である。自動車メーカーの広報部に一介のマンガ家が電話しても、相手にされるわけがない。

 このときの第一目標は、F1に参戦しているホンダの公式リリースをニフティサーブのフォーラムに掲載することだった。NIFの方にもお願いし、ホンダの広報部と掛け合ったのだが、最初は、ケンもホロロのの状態だった。ニフティサーブ開始目前のことである。

「うーん、困ったなあ……」

 と思っていたとき、仙台でホンダのF1情報を掲載している草の根BBSを発見した。仙台には、頻繁にアクセスしていたコミネットという市民向けパソコン通信ネットがあり、そこを通じて知ったBBSだった(と思う)。

 さっそく、そのBBSの運営者に連絡をとると、なんと運営者はホンダの社員だったのだ。
「ニフティサーブの開始に合わせてホンダのF1情報を掲載したいと考えているのに、それがうまくいかないで困っているんです……」

 と愚痴をこぼすと、なんと、その運営者がホンダの本社に連絡を取ってくれたうえに、広報担当者との面談のセットしてくれたのだ。自宅で草の根BBSの運営をしていた人は、ホンダ社内でも、かなり高い地位の方だったらしい。

 そんな厚意に感謝しながらホンダ本社に出向いたのだが、いくら広報担当者にパソコン通信のことを説明しても、なかなか理解してもらえないようだった。それでもパソコン通信が何たるものか、社内の人にアスキーネットやPC-VAN(NEC運営の商用パソコン通信サービス)のログに目を通していたらしい。

 アスキーネットもPC-VANも、書き込みをする人たちは、ハンドル(ネーム)を使うのが当たり前だった。

 パソコン通信に関心のない人が、ハンドルを使って書かれたパソコン通信のメッセージを見れば、何だか怪しい……と思うのは当然である。

 しかもクルマ関連のSIG (Special Interest Groupの略で、趣味や職業ごとに用意された掲示板、電子会議など。コンピュサーブやニフティサーブの場合は、これがフォーラムになる)への書き込みを見ると、ちょっと見には暴走族のグループ名みたいな人が、過激な自動車評などを書いている。これでは企業の広報担当者が情報提供に難色を示すのは当然だろう(これが後にニフティサーブ・モータースポーツ・フォーラムで、ハンドルを禁止する一因ともなる。一因というのは、ほかにも理由があったからである)。

 しかも、この当時、ホンダからのメディアに対するリリースの配信は、FAXと郵便に限定されていた。広報担当者が、電子メールでリリースを送信することなど、まだ夢の夢の時代だった。

 とりあえず「すがやさんを信用して……」ということになり、個人宛にFAXでリリースを送るので、それを自由に使ってほしいということになった。第一弾のホンダのF1リリースがFAXで送られてきたのは、それから数日後のことだった。

 ホンダというF1に参加している企業から、F1に関する公式のリリースが届くようになったのは嬉しかったが、それはそれで、また悩みが増えた。FAXで送られたリリースの内容をフォーラムに掲載するには、パソコンでテキストファイルに打ち直す必要があったからである。

 このときぼくは、事務所ではPC-9801を、自宅ではFM-16πを使っていたが、いずれにしても、大量の文章を打ち込む必要がある。コンピュサーブ・オートレーシング・フォーラムに掲載されるレース情報を翻訳して掲載する許可も得ていたし、また、そのお返しに日本のレース情報を、これまでどおり英文にまとめてコンピュサーブに送る役目も担っていた。

 当然、本業はそっちのけになる。マンガの仕事も減らしつつあったので、社員の数も3人くらいにまで減っていたが、最低限、社員の人件費や広い事務所の維持費も稼ぐ必要があった。

『一番わかりやすい株入門』(講談社)
『一番わかりやすい株入門』(安田二郎・原案/すがやみつる・マンガ/講談社/1985年4月刊/850円+税)。この本がパソコン通信三昧の生活を可能にさせてくれた。
 さいわいなことに、1985年に上梓した株の入門書が当時のマネーブームに乗り、紀伊國屋書店の週刊ベストセラーリスト(ビジネス書部門)で、毎週、ベスト10に引っかかる状態が2年もつづいていた。その印税が入ってきたおかげで、仕事はそっちのけにしたまま、ニフティサーブ・モータースポーツ・フォーラムの開設準備に専念することができたのだ。

 ニフティサーブの公式スタートは4月15日。前夜は事務所に泊まり込み、徹夜で最後のファイルを送り込むと、翌朝のサービス開始を待った。

  つづく……かな?

Posted by すがやみつる/菅谷充 at 02:16 Comments(3)TrackBack(0)パソコン/ネット

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この記事へのコメント

もうこのシリーズが無いかと思っていました。
このペースでもかまわないので続けてください。
楽しみにしています。
Posted by コブリ at 2009年08月25日 21:00
Twitterでお見かけして、こちらのブログに参りました。
当時私もFMOTORに出入りしており、当時パイオニアさんがフェラーリのスポンサーになった(90年?)ことから、ニュースリリースを「個人的に」FMOTOR宛にテキスト入力してアップしていたことも思い出しました。すがやさんからもお問い合わせのメールをいただいたと思いますが、専門的すぎてきちんとお返事できなかったように記憶しています。
20年前のことですが、急にいろいろ思い出してしまいました。
つづきも楽しみにしています。
Posted by valtan7 at 2009年08月28日 19:23
 この連載、残りの原稿は1回分しかありません。合間を見つけて、それに書き足しをして、なんとかケリをつけたいと思っていますので、よろしくお願いします。
Posted by すがやみつる/菅谷充 at 2009年09月01日 14:10
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