2008年08月26日
■『仮面ライダー青春譜』第46回
第5章 見習い編集者の頃
●幻の『赤頭巾ちゃん気をつけて』
松本零士氏が連載した『白夜のオルフェ』は、予定通り五回で終了した。つづいて連載されることになったのが、芥川賞を授賞し、映画化が発表されたばかりの『赤頭巾ちゃん気をつけて』だった。
原作は、庄司薫氏。マンガ化は、矢代まさこ氏が担当することになった。
一度、庄司氏に挨拶しようということで、矢代氏、「女性自身」の担当編集者(元「少年」の編集者)、そして、ぼくの三人で、指定された銀座のウエストという名曲喫茶に出かけた。
庄司氏は、この頃、超多忙で、しばしば行方をくらましていた。月に何度か打ち合わせの日が設定され、指定された時間に指定された場所へ出かけでないと庄司氏とは会えないのだという。そのせいか、ウエストの店内では、あちこちのテーブルで編集者らしき人が、きょろきょろと入口の方に目を光らせていた。
高校を卒業するときに母が買ってくれた一張羅の紺のスーツに身を包んだぼくは、矢代さん、編集者の三人でテーブルについた。メニューが渡されたが、よく知らない名前の飲物ばかりが並んでいる。てっきりソーセージがついてくると思って頼んだウィンナコーヒーの飲み方がわからず、「女性自身」の編集者に教えてもらっていると、よそのテーブルについていた他社の編集者らしき人が、ぼくたちのテーブルに歩み寄ってきた。
「あの庄司先生ですか?」
その編集者は、いきなり、ぼくに向かって言った。
ぼくがあっけにとられていると、
「ちがう、ちがう。彼は、うちの編集のお手伝いだよ」
と、横から「女性自身」の編集者が助け舟を出してくれた。他社の編集者は、ぼくを庄司薫氏とまちがえたのだ。
「どうも、写真と雰囲気が似てたもんで……」
といって自分のテーブルにもどっていく他社の編集者も、庄司氏には、まだ会ったことがないらしい。
「芥川賞作家とまちがえられるなんて、光栄だね」
「女性自身」の編集者と矢代氏が、けらけらと笑った。
庄司薫氏は、まもなく現われた。
純白のダブルを身につけた庄司氏は、テーブルからテーブルへと飛び歩き、待たせていた編集者たちと打ち合せをかさねていく。その姿は、まさに〈マスコミの寵児〉という形容がぴったりだった。
やがて、ぼくたちの待つテーブルに到着した庄司氏の口からは、『赤頭巾ちゃん気をつけて』の劇画化について、いくつかの条件が切り出された。そのなかの最重要案件は、マンガの原稿を掲載前にチェックしたいというものだった。映画化が進められている折りでもあり、映画に悪い影響が出るのが心配だというのだ。
ぼくは内心、ムッとしていた。それは、貸本マンガ家時代に描かれた『ようこシリーズ』をはじめ、たくさんの矢代作品を愛読していたからだ。
ぼくは中学生の頃から貸本店に出入りしていたが、貸本向けの少女マンガには、あまり関心がなかった。少女雑誌に掲載されている少女マンガにくらべ、絵が垢抜けておらず、貧乏ったらしい雰囲気が苦手だったからだ。
そのぼくに「矢代まさこの『ようこシリーズ』を読め!」と年賀状で教えてくれたのは、マンガ同人誌『墨汁三滴』の仲間だった。
かよっていた貸本店にも『ようこシリーズ』があったので、そのうちの一冊を借りて読んでみると、既存の少女マンガとはちがい、背伸びしたり悩んだりする思春期の少女が、等身大で描かれていた。
「COM」に発表した作品にも、従来の少女マンガとは一線を画す〈文学性〉のようなものがあり、樹村みのりのマンガを初めて「りぼん」で読んだときのような印象を受けたのを憶えている(樹村みのり氏が矢代まさこ氏の影響を受けていたらしいことは、後で知った)。
――ひょっとするとマンガが原作を凌ぐかもしれない……。
ぼくは、矢代氏が『赤頭巾ちゃん気をつけて』をマンガ化すると聞いたとき、そんなことまで期待した。
もちろん、原作者の前で、そんなことを口に出せるはずもない。おそらく、矢代氏も悔しい思いをしたはずだが、やはり沈黙を守っていた。
すぐに第一回目の原稿の締め切りがやってきたが、マンガ家で締め切り日に、きちんと原稿を仕上げてくれる人は皆無にちかい。矢代氏も、その例に漏れなかったが、『赤頭巾ちゃん気をつけて』に関しては、原作者サイドの事前チェックもあるので、その分だけ締切を前倒しする必要があった。
国分寺にあった矢代氏のお宅に伺うと、まだ原稿が終わっていなかった。ぼくも女性のアシスタントと一緒になって、仕上げを手伝うことにした。
スクリーントーン貼りを手伝おうとしたら、カッターがない。矢代氏が出してくれたのは、小学生が鉛筆削りに使うボンナイフだった。薄手の刃がついた折りたたみナイフである。ぼくも刃の角を使ってトーンを切り、なんとか締切時刻に間に合わせることができた。もちろん締切とは、原作者に原稿を見せる約束の時刻である。その役目は、光文社の編集者が担当した。
「あのマンガは、連載を延期することになった」
と「女性自身」の担当編集者から連絡があったのは、二日ほど後のことだった。編集者は、矢代氏の描いた原稿を、庄司薫氏本人と、映画の監督を担当していた森谷司朗監督に見せて了解をとりつけようとしたのだが、結果はノーだった。
その理由は、映画化に当たって一年がかりで改訂をかさね、ようやく決定したシナリオのファーストシーンと、矢代氏が描いたマンガのファーストシーンが、まったく同じだったからだとのこと。マンガが出た後に映画が出ると、映画がマンガをマネたと思われかねない――というのが、ノーの理由だった。
そのファースト・シーンは、原作とは大きく異なり、矢代氏が原作を読みこなして、独自に作りあげたものだった。たしか、主人公の薫くんが、大きな川の土手を歩いていくようなシーンになっていた。ところが映画の展開も、偶然にも、まったく同じだったらしい。
最初から原作者側の確認を受けるという事前契約にもとづくものなので、連載延期の要請も承諾するしかない状態だった。
しかし、ここで新たな問題が発生した。それは、すでに連載第一回目のページが雑誌に用意されていたことだ。といっても他のマンガを依頼し、描いてもらう時間もない。というわけで、空いたページは別の特集企画を特急で作って埋め、〈劇画〉の掲載は見送られることになった。
問題は、これだけでは終わらない。『赤頭巾ちゃん気をつけて』の映画公開までには、まだ時間があったからだ。そこで『赤頭巾ちゃん気をつけて』のマンガを連載する前に、他の連載マンガをスタートすることになった。
つづく
●幻の『赤頭巾ちゃん気をつけて』
松本零士氏が連載した『白夜のオルフェ』は、予定通り五回で終了した。つづいて連載されることになったのが、芥川賞を授賞し、映画化が発表されたばかりの『赤頭巾ちゃん気をつけて』だった。
原作は、庄司薫氏。マンガ化は、矢代まさこ氏が担当することになった。一度、庄司氏に挨拶しようということで、矢代氏、「女性自身」の担当編集者(元「少年」の編集者)、そして、ぼくの三人で、指定された銀座のウエストという名曲喫茶に出かけた。
庄司氏は、この頃、超多忙で、しばしば行方をくらましていた。月に何度か打ち合わせの日が設定され、指定された時間に指定された場所へ出かけでないと庄司氏とは会えないのだという。そのせいか、ウエストの店内では、あちこちのテーブルで編集者らしき人が、きょろきょろと入口の方に目を光らせていた。
高校を卒業するときに母が買ってくれた一張羅の紺のスーツに身を包んだぼくは、矢代さん、編集者の三人でテーブルについた。メニューが渡されたが、よく知らない名前の飲物ばかりが並んでいる。てっきりソーセージがついてくると思って頼んだウィンナコーヒーの飲み方がわからず、「女性自身」の編集者に教えてもらっていると、よそのテーブルについていた他社の編集者らしき人が、ぼくたちのテーブルに歩み寄ってきた。
「あの庄司先生ですか?」
その編集者は、いきなり、ぼくに向かって言った。
ぼくがあっけにとられていると、
「ちがう、ちがう。彼は、うちの編集のお手伝いだよ」
と、横から「女性自身」の編集者が助け舟を出してくれた。他社の編集者は、ぼくを庄司薫氏とまちがえたのだ。
「どうも、写真と雰囲気が似てたもんで……」
といって自分のテーブルにもどっていく他社の編集者も、庄司氏には、まだ会ったことがないらしい。
「芥川賞作家とまちがえられるなんて、光栄だね」
「女性自身」の編集者と矢代氏が、けらけらと笑った。
庄司薫氏は、まもなく現われた。
純白のダブルを身につけた庄司氏は、テーブルからテーブルへと飛び歩き、待たせていた編集者たちと打ち合せをかさねていく。その姿は、まさに〈マスコミの寵児〉という形容がぴったりだった。
やがて、ぼくたちの待つテーブルに到着した庄司氏の口からは、『赤頭巾ちゃん気をつけて』の劇画化について、いくつかの条件が切り出された。そのなかの最重要案件は、マンガの原稿を掲載前にチェックしたいというものだった。映画化が進められている折りでもあり、映画に悪い影響が出るのが心配だというのだ。
ぼくは内心、ムッとしていた。それは、貸本マンガ家時代に描かれた『ようこシリーズ』をはじめ、たくさんの矢代作品を愛読していたからだ。
ぼくは中学生の頃から貸本店に出入りしていたが、貸本向けの少女マンガには、あまり関心がなかった。少女雑誌に掲載されている少女マンガにくらべ、絵が垢抜けておらず、貧乏ったらしい雰囲気が苦手だったからだ。
そのぼくに「矢代まさこの『ようこシリーズ』を読め!」と年賀状で教えてくれたのは、マンガ同人誌『墨汁三滴』の仲間だった。
かよっていた貸本店にも『ようこシリーズ』があったので、そのうちの一冊を借りて読んでみると、既存の少女マンガとはちがい、背伸びしたり悩んだりする思春期の少女が、等身大で描かれていた。
「COM」に発表した作品にも、従来の少女マンガとは一線を画す〈文学性〉のようなものがあり、樹村みのりのマンガを初めて「りぼん」で読んだときのような印象を受けたのを憶えている(樹村みのり氏が矢代まさこ氏の影響を受けていたらしいことは、後で知った)。
――ひょっとするとマンガが原作を凌ぐかもしれない……。
ぼくは、矢代氏が『赤頭巾ちゃん気をつけて』をマンガ化すると聞いたとき、そんなことまで期待した。
もちろん、原作者の前で、そんなことを口に出せるはずもない。おそらく、矢代氏も悔しい思いをしたはずだが、やはり沈黙を守っていた。
すぐに第一回目の原稿の締め切りがやってきたが、マンガ家で締め切り日に、きちんと原稿を仕上げてくれる人は皆無にちかい。矢代氏も、その例に漏れなかったが、『赤頭巾ちゃん気をつけて』に関しては、原作者サイドの事前チェックもあるので、その分だけ締切を前倒しする必要があった。
国分寺にあった矢代氏のお宅に伺うと、まだ原稿が終わっていなかった。ぼくも女性のアシスタントと一緒になって、仕上げを手伝うことにした。
スクリーントーン貼りを手伝おうとしたら、カッターがない。矢代氏が出してくれたのは、小学生が鉛筆削りに使うボンナイフだった。薄手の刃がついた折りたたみナイフである。ぼくも刃の角を使ってトーンを切り、なんとか締切時刻に間に合わせることができた。もちろん締切とは、原作者に原稿を見せる約束の時刻である。その役目は、光文社の編集者が担当した。
「あのマンガは、連載を延期することになった」
と「女性自身」の担当編集者から連絡があったのは、二日ほど後のことだった。編集者は、矢代氏の描いた原稿を、庄司薫氏本人と、映画の監督を担当していた森谷司朗監督に見せて了解をとりつけようとしたのだが、結果はノーだった。
その理由は、映画化に当たって一年がかりで改訂をかさね、ようやく決定したシナリオのファーストシーンと、矢代氏が描いたマンガのファーストシーンが、まったく同じだったからだとのこと。マンガが出た後に映画が出ると、映画がマンガをマネたと思われかねない――というのが、ノーの理由だった。
そのファースト・シーンは、原作とは大きく異なり、矢代氏が原作を読みこなして、独自に作りあげたものだった。たしか、主人公の薫くんが、大きな川の土手を歩いていくようなシーンになっていた。ところが映画の展開も、偶然にも、まったく同じだったらしい。
最初から原作者側の確認を受けるという事前契約にもとづくものなので、連載延期の要請も承諾するしかない状態だった。
しかし、ここで新たな問題が発生した。それは、すでに連載第一回目のページが雑誌に用意されていたことだ。といっても他のマンガを依頼し、描いてもらう時間もない。というわけで、空いたページは別の特集企画を特急で作って埋め、〈劇画〉の掲載は見送られることになった。
問題は、これだけでは終わらない。『赤頭巾ちゃん気をつけて』の映画公開までには、まだ時間があったからだ。そこで『赤頭巾ちゃん気をつけて』のマンガを連載する前に、他の連載マンガをスタートすることになった。
つづく
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